仕事なので時間の制限は無視出来ない

必要とされる情報を盛り込み、かつ「誰が見ても分かりやすい」内容の建築施工図を書く。
前回はそんな内容の話をして、ついでに、現実は少し厳しい面もあることも付け加えておきました。
「商品」の価値を高めるには、完成度の高さを磨くしかない。
それは分かり切った事実ですから、出来る限りユーザーの声に耳を傾けて、良い図面を提供したいものです。


■分かりやすい図面の矛盾
建築施工図が「分かりやすいかどうか」は、見る側のスキルと経験と「どう感じるか」で大きく変わってきます。
それはもう残酷なくらいに。
それなのに「誰が見ても分かるような建築施工図を…」というのは、かなり難しい問題だと思います。
正解などないに等しく、というか、正解は「どんな人が見ても分かる」だけど、実現不可能な理想論では意味がありません。
と、このように、分かりやすい図面というのは、あまり議論をしたくないような要素でもあるんです。
結局は自分の中で自信を持って「これで分かりやすい表現になってる」と思うしかない。
これが作図をする側としては、かなりツライところですね。
しかも、あまりにも自信を持ちすぎると、「これは分かりにくい」と言ってきた相手と喧嘩になることも。
自分が作成した商品に自信を持つのは良いことですが、それによって相手の話に耳を傾けなくなるのは、あまり良いことじゃないかな。
話し合いというのは一方通行になった瞬間から、もう話し合いではなくなってしまいますから。
■もちろん限度もある
ユーザーである職人さんの意見に耳を傾けるのは、建築施工図の作図者として非常に重要なことです。
しかし、意見に耳を傾けすぎるのも問題なんです。
何事にも限度があって、そのバランスが重要になってくる、という事も知っておきべきです。
そうしないと、何から何まで建築施工図に記載されているべき、という感じになってしまいます。
そうすると、立場的に建築施工図を作図している側だけが圧倒的に悪い、みたいな話になりがちです。
実際に建築施工図に非があるのであれば、作図をした技術者として大いに反省をするべきです。
しかしそうでなければ、全部が反省という訳でもないですよね。
理想的な建築施工図を書く、ということを目指して努力をするのは、プロであればごく当たり前の話です。
高いレベルを目指さない技術者に未来はない、です。
しかしそれはあくまでも「現実に身を置きながら」にしておかないと、努力をする意味がありません。
プロとして目指すのは、絵に描いた餅みたいなレベルではなく、本当に実現可能な現実味のあるレベルであるべき。
私は今まで建築施工図を書いてきて、色々な経験してきた結果、そういう考え方を持つようになりました。
こういう考え方は、単純に逃げとか保身が上手くなったとか、そういう話ではないと思っています。
もちろん正解がどれなのかは私にも分からないので、仕事をこなしながらずっと正解を求めていくしかありませんけど。
■現実に身を置くとは?
「現実に身を置きながら」理想的な建築施工図を目指すというのは、具体的にはどういうことなのか。
そもそも「現実」とは何を意味するのか。
具体的な表現をするとつまり、時間に制限があることと、かけられるコストに限度があること。
これですね。
これらの要素を無視して「理想的な建築施工図とは…」とか言っても、それなら趣味でやってくれという話になります。
趣味であれば時間にもお金にも制限なんてありませんし、それで文句を言う人も存在しませんから。
でもそうではなく、仕事として建築施工図を書くのなら、やはり色々な縛りがあるのを受け入れるしかありません。
そんな限られた厳しい条件の中でも、最大限の努力をして「ベター」を目指すのがプロの仕事。
そうした条件を全く考えずに「ベストな建築施工図とは…」と語るのは、全然プロの仕事とは言えません。
そういう実現不可能な理想を追い求めることは、実際にはあまり意味がないことなんですよね。
もちろん仕事ですから「理想的な話だよね」で済ますことは出来ず、出来る努力は全て実行していく必要はあります。
ちょっと矛盾を感じるかも知れませんが、それらのバランスを取りながら、プロとしてやるべき努力はする。
それが建築施工図のプロに求められることだと思っています。
仕事なんだから、分かりやすい正解なんてない…という考え方が、最も正解に近いんじゃないか。
そう私は思っています。